やどかり物語


おねえちゃん著・絵


やどちゃん物語

 ザザー。ザザー。波が岩と岩の間を通りすぎました。空は、雲ひとつなくすみわたっています。
(ああ、なんて気持ちがいいんだろう。)
ここは城ヶ島。海岸は砂の代わりにごつごつした岩と、大男が踏みうぶしたあとのような砕けた貝殻がしきつめられています。その貝の数は、一万、十万、いや一億よりももっとあるように思えます。 その中の一つ、夜空よりも濃い黒い色の貝をちょったやどかり君がいました。他のやどかりたちは、まだ赤ちゃんの小指ぐらいの小さな細長い巻き貝をしょっているのに、このやどかり君は、大人の親指の先ぐらいの大きな巻き貝をしょっていました。
(もう、ぼくはだいぶ大きくなったんだな。)
と、たまにやどかり君は思うのでした。そして、のっそり立つとその辺をゆっくり散歩しました。すごいスピードで、十匹ぐらいの小魚が目の前を通り過ぎました。光に反射して、尾びれはきれいに光ました。
(いいなあ。魚は。あんなに速く泳げて。ぼくももっと速く歩けたらなあ。)
やどかり君はうらやましく思いました。
(でも、魚たちは、敵が来た時、隠れられる貝は持ってない。)
しばらくして、遠くの方でふいに人間の子どもの声がしたかと思うと、足音がこちらに近づいて来ます。
(どうしよう。つかまらないかな。)
やどかり君は、びくびくして貝にもぐりました。ザクザク、タッタッタッタ。もうそこまで来ています。手を伸ばせばやどかり君に届いてしまいます。


「あっ、きれいな貝、見いっけ。」
「あっ、いいな。一個ちょうだい。」
「うん、いいよ。」
「代わりになんかあげるよ。」
(えっ、つかまったらどうしよう。逃げようか。でも・・・・・。」
やどかり君が泣きそうになっているその時、体が持ち上げられました。
(わああ、たすけてえ。)
「はい、これお返しだよ。」
お姉さんらしい声が聞こえました。
「ありがとう。」
今度は、妹の方です。やどかり君は、小さなビニール袋に入れられてしまいました。
「わあ〜ん。こわいよぉ。たすけてよぉ。帰してよお。」
やどかり君がいくら泣きわめいても聞こえるはずがありません。小さなバッグにビニールごと入れられてしまいました。中は、真っ暗でした。しょっている貝よりもずっとずっと濃い黒い色でした。
(こわいよお。さびしいよお。出してよお。)
やどかり君はしくしく泣きました。海の水がほしくてほしくてなりませんでした。そうして、いつしか深い眠りに落ちました。バッグの中にもまだ海のいいにおいがかすかに残っていました。
やどかり君が目を覚ましたのは、城ヶ島から遠く離れた東京のその子達の家に着いたころでした。
(ここは?海のにおいがしない。それに息苦しいし、体のあちこち痛いよ。これからどうなっちゃうのかな。海には二度と帰れないのかな。)
やどかり君は、暗く悲しい気持ちになりました。やどかり君は、城ヶ島の海が本当に好きでした。海のにおいや波が好きでした。故郷に帰れないなんて、さびしくてさびしくてたまらないのでした。
 それからしばらくして、やどかり君は、袋から出され、つまみ上げられました。そして、中をのぞきこまれました。次の瞬間、
「わああ、こわいよお。中に何かいる。」
妹のようです。やどかり君は、
「こわいのはどっちだ。」
と、心の中で叫びました。
「どれどれ。あ、本当だ。」
その声は、その子のお父さんでした。
「あ、これやどかりだよ。私があげた貝じゃない。どうしよう、かわいそうなことしちゃった。」
驚いた声で言ったのは、お姉さんでした。
「あ、そうだ。私、海水くんできといたんだ。」
「それじゃ、いちごの入ってたパックあげるからとりあえず海水を入れてあげなさい。」
どうもその声はお母さんみたいです。
やどかり君は、城ヶ島よりずっと小さいいちごのパックの海にほかの貝殻と一緒に入れられて、洗面所に置かれました。
その後、やどかり君はこんな話しを聞きました。
「ねえ、やどかりに名前をつけてあげようよ。」
「それいいじゃない、お姉ちゃん。」
「私、考えたんだけど、やどかりだから単純に“やどちゃん”なんてのはどう?」
「いいね。」
「じゃ、決定。」
(えっ。僕の名前がやどちゃん?単純だけど、いいかもしれない。僕、気に入った。)
「でも、いつか城ヶ島に帰してあげようね。」
「そうね。私が連れて来なければ、やどちゃんは・・・・。」
「そんなことないよ。私だって拾って香織ちゃんにあげちゃったんだから。」
それを聞くと、やどちゃんは、胸がきゅうんとなりました。
 それから二日たちました。その夜のことです。やどちゃんはおいしい食べ物が食べたくなりました。
「やどかりって何を食べるのかなあ。」
「プランクトンじゃないの?」
「プランクトンなんて海にしかいないよ。」
そういう会話を聞いていると、ますますおなかがすきます。
(あああ、何か食べたいなあ。)
「ああそうだ。うちには金魚がいるでしょ。金魚のえさはどう?」
「じゃ、ちょっとあげてみよう。」
子ども達二人が金魚のえさを取りに行っている間、やどちゃんは、小さな水槽の中で考えました。
(金魚って何?その金魚ってやつが食べるえさってどんなのだろう。)
そのうちに、二人がもどって来ました。そして、なにやら茶色っぽい小さな玉を五、六粒、やどちゃんの 水槽に入れて、電気を消して寝てしまいました。
その後、やどちゃんは、金魚のえさに近づいてみました。
(何だこれ?べつにおいしそうに見えないけど。まあ、せっかく持って来てくれたんだから。)
と、はさみでつまんでえさを一粒口に入れました。
「お、おいしい。」
やどちゃんは、夢中で残りのえさもたいらげてしまいました。



朝になりました。一番に洗面所に来た妹の香織ちゃんが、大声をあげました。
「うわあ、やどちゃん、金魚のえさみんな食べちゃった。衣里香ちゃん来てえ。」
「本当だ。やどちゃん、それ気に入ったんだね。」
それから毎晩、やどちゃんは金魚のえさをもらいました。
 そんなことがあってから一週間たちました。やどちゃんが朝起きて見ると、水がだいぶ汚れているのに気づきました。
(なんか息苦しいなあ。)
やどちゃんはそう思って、水がまだきれいなところへ歩いて行きました。その時、こんな話し声が聞こえました。
「だいぶ水汚れちゃったね。それに洗面所に変なにおいがただよってるよ。」
「とりかえてあげたいけど、もう汲んで来た海水ないよ。」
と、香織ちゃんがため息をつきました。
「お母さんに相談してみよう。」
お姉ちゃんの衣里香ちゃんでした。そして、二人は、お母さんのところに行ってしまいました。
 その日の夜のことです。衣里香ちゃんと香織ちゃんがやどちゃんにえさをくれました。そして、
「やどちゃん、今、お水を寝かしているから、明日、天然塩を買って来て、海水作ってあげるね。」
その後、二人は寝てしまいました。やどちゃんは、なんとなく明日が楽しみになりました。  次ぎの日、衣里香ちゃんと香織ちゃんは、やどちゃんの水槽の水をとりかえてくれました。やどちゃんは、
(わあ、海だあ。)
城ヶ島の海とちょっと違うけど、うれしくなって水槽を一回りしました。
(ああ、気持ちいい。)
やどちゃんは、そう思いました。
 それから何日たったのでしょうか。やどちゃんが東京に来てから三週間くらいたったある日のことです。やどちゃんは、だいぶ貝がきつくなって、小さな水槽の中で貝を探し回りました。いくら探してもちょうどいい貝が見つかりません。 そりゃあそうです。ここは、海ではないのですから・・・・・。でも、やどちゃんは、二、三個しかない巻き貝を一生懸命調べています。もちろん、そんなやどちゃんの行動なんて、衣里香ちゃんや香織ちゃんに分かるはずがありません。
「今日はやどちゃんよく動くよね。お姉ちゃん。」
「お散歩好きね。やどちゃんは。」
衣里香ちゃんが笑いながらやどちゃんを見ています。
(僕に合った貝はないのかなあ。早くしないとこの貝、きつくて苦しいよ。)
やどちゃんは、必死になって捜しました。
 夜になりました。いつものように、衣里香ちゃんたちがえさを持って来てくれました。
「さあ、やどちゃん、今日の分のえさだよ。たくさん食べてね。おやすみ。」
そう言い残すと、電気を消して寝てしまいました。その後でやどちゃんは、
(えさを食べるともっと大きくなって、もっときつくなっちゃうから、 少しにしておこう。)
そう思って、二粒くらいしか食べませんでした。食べ終わると、
「さあ、貝探ししようっと。」
と、言って、一歩歩いたその瞬間。
「わああ。」
やどちゃんは、転んでしまいました。 水槽の底にしいてある貝殻の間から、ところどころいちごパックの底の部分がのぞいていて、足をすべらせてしまったのです。
「いててて。」
やどちゃんはころんでしまいました。立ち上がろうとしました。その時、
「ポロッ。」
という音がして、やどちゃんの大事な足が一本、取れてしまいました。
「いってえ。」
やどちゃんは、足が痛くて一歩も歩けなくなりました。
(どうしよう。こんなんじゃあ、貝も探せない。それにこんな姿を衣里香ちゃんや 香織ちゃんが見たら、きっとしんだんじゃないかって思って、悲しませちゃう。ああ、僕はどうしたらいいんだ。)
やどちゃんは、暗い気持ちになりました。
 朝になりました。衣里香ちゃんと香織ちゃんが学校へ行こうとした時、 洗面所にひげをそりに来たお父さんが、やどちゃんを見ながら大きな声で言いました。
「あれ?やどちゃん、動かないぞ。死んじゃったのかな。」
「えええ!」
衣里香ちゃんと香織ちゃんが洗面所へかけて来ました。
「あれ、でも、えさを二粒食べたみたいだよ。私達、五粒くらい入れといたもの。ねえ、香織ちゃん。」
「うん、そうよ。でも、ほら、これ見て。やどちゃんの足が一本取れてる。」
と、二人は心配そうにやどちゃんを のぞきこんでいます。
「やっぱ死んじゃったのかなあ。そしたら私どうしよう。やどちゃんだって知らずに持って帰って来ちゃったんだもの。かわいそうだよお。どうしよう。わあ〜ん。」
と、香織ちゃんが泣き始めました。
「そんなことないよ。私だって、香織ちゃんにあげなければ、やどちゃんは海で暮らせたんだよ。」
「そんなあ。私が気づけばよかったんだあ。」
と、泣くばかりです。そこを、お母さんが、
「そんなことないわよ。 あなただって、やどちゃんにしてあげられることはやったんだから。」
でも、香織ちゃんは泣き止みません。そうなると、やどちゃんは、
(僕は、香織ちゃんのこと、そうは思ってないよ。みんなに心配させちゃったよ。どうしたらいいんだ。)
と、やどちゃんも泣きそうになりました。
「ねえ、香織ちゃん、もしかしたら、やどちゃん、足が痛くて動けないのかもしれないよ。」
「えっ、本当?」
と、べそをかきながらやどちゃんを見ました。やどちゃんは、ちょっと 足を動かしました。
「あっ、やどちゃん少し動いた。」
「ね、やっぱりやどちゃんは足が痛くて動けないだけで、ちゃんと生きてるよ。」
香織ちゃんは、うなずくと、
「よかったあ。ねえ、でも、早く城ヶ島に帰してあげようよ。 そうだ、明日の日曜日は?」
「そうしよう。明日、予定ないしね。」
やどちゃんは、目を涙でぬらしながら、
(やったあ。とうとう帰れるんだ。)
と、大喜びでした。その日の夜、やどちゃんはなかなか眠れませんでした。
(ああ、明日が楽しみだな。)
 次ぎの日の朝、やどちゃんは、ふた付きの入れ物に貝と作った海水といっしょに入れられました。
「やどちゃん、おうちに帰るんだよ。楽しみにしててね。」
衣里香ちゃんが、にっこりしました。
 そして、お父さんが運転する車で城ヶ島へ向かいました。車の中でやどちゃんの入れ物はチャポチャポと波をたてました。
「もうすぐだよ。やどちゃん。」
時々、香織ちゃんや衣里香ちゃんが声をかけてくれました。それを聞くたびに やどちゃんは、城ヶ島に着くのが待ち遠しくなるのでした。
 とうとう城ヶ島に着きました。岩場には、赤い海草やこけがたくさんありました。今は、引き潮で多くの岩が頭を突き出していました。やどちゃんを拾った場所も、 水がなくて、まるで誰かが飲んでしまった後のようでした。みんなで岩だらけの海岸を歩き回って、ようやく波がチャポチャポ音を立てている所を衣里香ちゃんと香織ちゃんが見つけました。小さな岩のかけらがたくさんありました。衣里香ちゃんが、
「さあ、やどちゃん、なつかしい城ヶ島だよ。」
「幸せに暮らしてね。」
衣里香ちゃんが、入れ物のふたを開けてくれました。ふわあっとなつかしい城ヶ島のにおいが入って来ました。
「がんばって生きるんだよ。」
ザザア、チャポチャポ。やどちゃんは、久しぶりに城ヶ島の波をあびました。ザザア、チャポチャポ。
(ああ、気持ちいい。)


その時、香織ちゃんが泣き始めました。
「やどちゃん。いなくなったらさびしいよ。」
衣里香ちゃんも香織ちゃんと同じ気持ちでした。でも、もうすべて分かっていました。やどちゃんはうちに連れて帰ることはできないこと。さびしいと思ったら、やどちゃんは安心して海に帰れないこと。そして、やどちゃんは、この城ヶ島で 暮らすのが一番幸せなんだということ。香織ちゃんの声を聞いて、やどちゃんは、こう思いました。
(そうか、僕はこの三週間、すっかり世話をかけていたんだ。僕のことを家族だと思っていたんだ。)
やどちゃんは、急に涙がこみ上げて来ました。 さっきまであんなに楽しみにしていた城ヶ島なのに・・・・・。衣里香ちゃんや香織ちゃんと別れなければならないということを、今初めて感じたのでした。香織ちゃんも、さっきまでずっとやどちゃんを早く帰してあげたいと思っていたのに・・・・・。 今は、別れるのがつらくてつらくてしかたがないのでした。涙をぽろぽろこぼしながら城ヶ島の海岸をとぼとぼ歩いて行きました。やどちゃんは、その姿を見送りながら、できる限りの声を出して言いました。
「ぼく・・・・・・・ありがとう。」
でも、その声は波の音にかきちらされて途切れてしまいました。でも、香織ちゃんには、たしかに聞こえました。
(あれ、だれ?)
香織ちゃんは、辺りをキョロキョロ見まわしました。
(やどちゃん?やどちゃんだ。)
「ねえ、お母さん、今だれか何か言った?」
「ううん、何にも聞こえなかったけど。」
「小さい男の子の声で、『ぼく・・・ありがとう。』ってどこかで声がした。回りを見たけど海にもしげみにだれもいないし。」
「あら、それはきっとやどちゃんよ。」
香織ちゃんは、こみ上げてくる涙を一生懸命こらえてやどちゃんの方を見ながら、
「さようならあ。」
 香織ちゃんの涙と同じように、雨が静かに降っていました。空も泣いているかのように。 そして、波もチャポチャポと音を立てて、さびしそうにうねりました。まるで、やどちゃんとの別れを見ていたかのように。



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