軍艦島旅行記



<交通>

軍艦島に行くには、まず長崎港から定期船で「高島」という島に
渡ります。軍艦島は無人島のため、そこから漁船をチャーターしな
いと上陸できません。高島にも一度、行きましたが、こちらにも
廃墟(昔の住宅跡)が残っています。資料館もあるので立ち寄って
みるだけでも良いと思います。釣り客用の漁船が多いので、チャー
ターするのは簡単にできます。値段は忘れました・・・
私は、1990.8/14に渡りました。


<概要>

20数年前に、石炭の鉱山として栄えた島ですが、閉山された後は
荒れるに任せたゴーストタウンの街と化しています。
日本で最古の鉄筋コンクリート建造物があり、建築学的にも貴重な
島となっています。これは、1周するのに歩いて数分の小さな島に
鉱山で働く人がたくさん住めるように建てられたそうです。
昔の、学校、病院、映画館、高層アパートなどは本当にゴーストタ
ウンです。


<島の名前の由来>

島の外壁が、波の浸食を防ぐため高いコンクリートの壁で囲われて
います。そのために、遠くからだと「軍艦」の形に見えるため軍艦
島と呼ばれています。正式名称は「端島」です。現在も三菱鉱山の
持ち物で、一般人は立ち入り禁止区域になっています。


帰りに、我々の漁船が海上保安庁の巡視艇にダホされました・・・
どうも、営業免許の期限切れによる定員オーバーとのことでした。
私たちは、写真を取られ、住所、氏名、電話番号をかかされました。
別に私たちには罪はないのですが、おじさんがかわいそうでした。
それにしても、音もなくすっと巡視船が近づいてきたと思ったら、
漁船に横付けされて、あっと言う間に船に乗り込んで来たときには
捕まった密航者の気分がわかりました・・・オドロイタ・・・


形あるものはいつかは崩れる・・・というのを肌で感じることがで
きる貴重な場所だと思います。
詳しい文献資料、ビデオ、写真などが実家に置いてありますので
実家に戻ったときに持ってきたいと思います。写真をスキャナーで
取り込んで、このページを完成させたいと思っていますので、しば
し、お待ち下さい!


参考文献として下記のものがあります。
1)「軍艦島実測調査資料集」 阿久井喜孝編著 東京電機大学出版局
2)「大正・昭和初期の近代建築群の実証研究」 東京電機大学出版局
3)「軍艦島」 雑賀雄二(写真)/洲之内徹(文) 新潮社
4)「軍艦島に進路を取れ」 保田良雄著 新潮社
1番がおすすめです。定価¥14000

そういえば、赤川治郎の三毛猫ホームズシリーズに軍艦島を舞台にしたものが
出たと聞いています。今度、読まねば・・・



紀行エッセイ 「端島に至りて」 91/04/15 21:08 「端島に至りて」 Nori  ひとりまたひとりと島を離れ、ついに最後の坑口が閉じられたとき、万人が狂奔し 万物が狂乱した狂える時代高度成長期はその生を終えていた。灰色の塊とVOIDな 空間を残して。 東シナ海の孤島端島。かつての基幹産業石炭鉱業は、エネルギー革命の前に抗する すべもなくその役割を大幅に縮小、あるいは終えなければならなかった。石炭の時代 を全身に体現し、石炭と運命を共にした島、端島は長崎市の沖南西約20KM、野母 崎から約5KMに位置する周囲約2KMの小さな島である。長崎港から渡船に乗り込 み、約30分。長崎港では両岸に巨大な造船所を眺め、長崎港を出ては眼前に緑とも 灰色ともそしてカキイロとも形容しがたいメタモルフォーゼを遂げる「リゾート」島 を認め、潮風に吹かれながら海路を進めば、ようやくこぶりな群島の向こうに端島が 覗いた。  コンクリートで固められ、7000人を収用した灰色のアパートが崖に張り付くそ の島はさながら、監獄島のようであった。そうして申すまでもなく軍艦のようであっ た。黒金の城。最盛期にはそんな言葉で呼ばれたであろうその島も今はただ荒れるに 任されている。  近付いて見るに、どうやら桟橋はすべて撤去されている。昭和48年の閉山・閉島 にあたって撤去されたのであろう。渡船の舳先より、ようやく地点を定めて上陸する。 高くそびえる灰色の護岸の内側に入り込んだ私たちの見たもの、それはなぜかどこか 懐かしい光景であった。  打ち捨てられたコンクリート、黒い大地に根を張る雑草、そして固められた崖と灰 色の高層アパートの大群。これは忘れもしない我々の原風景。都会とも郊外ともつか ないいたるところで繰り広げられた流れゆくスペクタクル。崩しては造り、そしてい つのまにか眼の前から消えて無くなった群像達。ここはあの40年代で時間が停止し てしまっている! 過去への旅、歩を進めながらなんとなくそんな言葉が頭に浮かぶ。  我々の上陸点はかつての石炭積み出し基地であったところである。ベルトコンベア、 炭坑へはいる坑口、そして石炭が野づみされていたらしい広場。それらは過去の痕跡 を残すのみで主だった機械は撤去され、コンクリートだけが残っている。  作業場らしきところに足を踏み入れる。入口は朽ち果て窓は落ち、木製の階段は室 内にあるにも関わらずすでに数段抜け落ちていた。2階の床もどことなく頼りなげで ある。部屋の奥にかつてのインテリアが転がっていた。埃にまみれたマネキン、ブラ ウン管の無くなった家具調テレビ、海に向かってとられた窓からは、陽が差込み部屋 の中を映し出す。がらんとしている。同行したT君が「明るいのに気味悪い部屋です ね」などと言っている。  作業場を出てアパート群の方に進んでいく。初めに入った建物は10階程度の高さ の建物。どうやら学校のようである。南面して建てられているが、南が積み出し基地 だからであろう、教室は廊下をはさんで北側に並んでいる。ガラスの落ちた窓からは 潮風が絶え間なく吹き込んでいた。雨にさらされてゴワゴワになった黒板。来訪者達 の落書きがつづられる。「○○参上」「19xx.x.xx ○○大学 誰の某」紋切り型の落 書きが多い。中にはかつての島の人たちの言葉も見える。「10年ぶりにやってきま した」「ここは何もかわりませんね」等。理工学系の学生、芸大系の学生の落書きが 目立った。  所せましと書き込まれていた落書きも2階、3階とあがってゆくにつれ少なくなっ てゆく。上がっていくうちに気づいたことがある。どうやら島の人たちが残した落書 きはほとんど絶無であること、いや落書きはあるかも知れない、けれども詩が絶無だ ということである。  廃校の時の掃除で消したのだろうか、漠然と、いったい何がこの空間の記憶を残さ なかったのかと思いを巡らせる。しかし、学校を抜けて病院にいたり、そして建て込 んだアパート群に歩を進めて行ったとき、海風が吹き抜け、潮騒がこだまするかつて の生活空間のただ中にあって、私は何とも言えない寂寥感にうたれた。  詩はなかったのだ。なんとかして人の目にふれ、なんとかして伝えようとするエネ ルギー、やりきれない思い、あるいは新たな希望、あるいは大いなる歓び。島が消え ようとする、自分達のアイデンティティが消えようとする、その瞬間を永遠に共有し たいという何かをその空間にとどめることはできなかったのだ。  ただ、妙に空間だけがあった。  陽が差し、風が吹き、鼠もゴキブリさえもが姿を消して、ようやくコンクリートの 塊達は安らかに眠っている。むしろ、人がいなくなって端島はやすらぎを得た。  亡びと無常。ゆっくりゆっくりと時間だけが流れる。  私たちが生まれた高度成長という時代。すべてが狂気した時代。それは言葉を持た ない時代であった。言葉を捨てた時代であった。嘆かわしい造成力よ。それは創造で はない。それは生命ではない。それには記憶がないのだ。それには言葉がないのだ。  いま、空間だけが残された。時間だけが流れている。荒涼たる空間。それは近い過 去であるだけではない。近未来でもありえる光景。氷河期が終わり人類の祖先が外界 へ身を乗り出して行ったとき、一切が凍結の魔術から解き放たれ、一切が歓喜したと き。我々は絶望と耐久が希望と創造に変化するのを見た。VOIDな空間に再び生命 が宿り、一切の差異化が怒涛のごとく動き始めたとき。我々はそこに宇宙を見た。近 代が終わり人類の同胞が外界から身を納めていったとき、一切が狂乱の魔術から解き 放たれ、一切がやすらぎを得たとき。我々は生命を創り出してはいないことに気がつ いた。灰色の塊だけが残される。  虚無とともにやすらぎが同居する島、端島。そこは、次なる時代の何かを象徴する。 その虚無が融けだし、やすらぎとのるつぼが形成され、生命が飛び散り、神々のささ やきが聴こえるとき、端島は宇宙に開かれる。眠りでもない、まどろみでもない、地 球の意識だけがゆらいでいる何かの場。地球の重力から離れ、そしてそのとき端島は、 宇宙を漂う「竜宮の使い」を見るであろう。


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