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就学前の幼児 がお稽古するに当たって参考にしていただきたいこと
以前、字に興味を持ち始めたのでぜひ書道を習わせたいと、お母様からメールをいただいて、書道教室に3歳のかわいいお嬢ちゃまが入会されました。幼稚園の年少組だということでした。
お母様はご自分が自宅でピアノを教えている間、お嬢様を預けて書道を習わせたいというお考えで、お嬢様を送っていらして、毎回一時間半くらいするとお迎えにいらっしゃいました。
たとえば、ピアノのお稽古では音符や音階、鍵盤を覚えるように、書道は字を習って覚えるところなので、教室に慣れて来たころ、遊びの要素を少なくして、徐々に本来の習うことに比重を置くようにしました。
お絵かきに「間違え」ということはありませんが、字は日本国語なので間違えて覚えてはいけません。
教えたことを確認するために質問すると、
後でよく聞けば本当はわかっていることでも、お嬢様は首を傾げてにこーっとかわいく笑うだけで、言葉で返答をされませんでした。でも間違えを放っておくわけにはいきませんから、コミュニケーションがなんとかとれるように、そのお嬢様が首で返事をしてもいいようにあれこれ質問のし方を考えました。
そのうちに段々と口でも答えられるよう、忘れたときは「忘れた」と、困ったときは「やってちょうだいな」と言いましょうねと、
少しずつ話し言葉をお教えしました。家庭の躾の領域に踏み込むようで差し出がましいと思いましたが、師弟の意思が通じなければ一時間以上も時を共に過ごすのは楽しくありません。
お道具の出し入れについても、お母様がいらっしゃらないので、3歳でもできるところまで独りでがんばらなければなりません。
先生が手伝ってはいつまでも自分でできないので、始めは私が手取り足取り手伝っても、段々とヒントを出しながら見守っていました。
普段、戸惑っているとおうちではお嬢様が何も言わなくても誰かがやってくださるのでしょう。でも、外に出たら自分でやらなければなりませから、助けてほしいときは「やってちょうだいな」と言うんだということを知らなければなりません。幼稚園に行っているなら「やって…」を知らないのはかわいそうです。
余計なお世話ですが、私も困るので言葉を教えたのですが、口で言わず泣くほうが先でした。黙っていてもそれまで周りが先に自分の言いたい言葉を言ってくれるので、自分でしゃべる必要がなかったのでしょう。必要がなければ言葉を覚える必要がないので、覚えるという概念もまだ育っていなかったようです。先生が言葉を捜して色々言ってくれるのを待っていました。
幼児の成長は個人差が大きいですから、概念がまだ育っていなくても、それは発育の遅れでも悪いことでもありません。ただ幼児でも家の外に出るということはそれなりに社会に出るというで、社会に出るということは人とふれあうことです。人とふれあうということはそこで必要なコミュニケーションが3歳なりにできなければなりません。ですから、人とふれあうことに必要な様々な生活の言葉を覚えさせてあげることが大切です。ご両親様はきちんとご挨拶される方でした、お嬢様にもお稽古が終わってから「先生ありがとうございました。」を「ちゃんと言いなさい。」と泣いていてもお嬢様がしっかり「先生ありがとうございました。」と言えるまでお帰りになりませんでした。
ただ、先生の立場から、「言いなさい」と何度も言われてやっと言えたことは「えらいね。」と言ってあげたいですが、そんなふうにして言われても先生は嬉しくないのです。言わされる子どもがかわいそうで見ているのが辛くいたたまれませんでした。それより先生と意思を通じ合える会話ができるような言葉と態度を教えてあげたほうがいいように思いました。ご家庭によってお考えが違うので正しいとか間違ってるとかは言えませんが。
「先生ありがとうございました。」は保護者が言う大人の挨拶です。3歳では難しいでしょう。無理に言わせなくても大きくなればそのうちに自然に言えるようになります。
それよりも人とちゃんと意思疎通をするのに3歳なりに必要な言葉を知るほうがそのお嬢様にとっては重要なことなのにと失礼ながら私は個人的に感じました。
まだ泣くことが先で言葉が出ないのは、精神的にオムツが取れていないということです。泣けば誰かがなんとかしてくれる環境にいつもいるので、泣いたほうが楽をできるから。そういう状態で習い事の社会に入って、しかもお母様において行かれて、たった独りで一時間半以上も習い事という遊びでない世界で時間を過ごさなければならないのはかわいそうでした。
でも、私は教えて下さいと頼まれてお月謝をいただいている以上、なんとかお嬢様がわかるように教えるのが務めです。
ただそれではお嬢様と私の思いは噛合いません。覚える概念がなければ教えようとされるのは嫌でしょう。
実際のオムツを取るときトイレを母親が躾るように、精神的オムツも母親が愛情で躾なければ取れません。心のオムツが取れないお嬢様は、独り小さい体と心で、教えられることを受け止めなければならず萎縮してしまい、三ヶ月も経たないうちに退会されました。
上に兄姉がいると「習う」概念が自然にできるのですが、このお嬢様は一人っ子でした。たぶん、字を「習う」という概念がなかったのでしょう。間違えは直して、正しい字を教えるのですが、「間違える」「正しい」とは何かもわからないようでした。
確かに3才なのに字をすらすら読んだり、筆使いもあやしげなく上手に書くお嬢様でしたから、お母様には「字に興味を持った」ように見え、素質も才能もあったと思います。でも、本人には、わかりたいから習いたいという知識欲はなく、
「字を書いて遊ぶのが面白かった」だけだったのだとお見受けしました。このお嬢様の場合、習い事の社会に出るのが早かっただけです。ただ、一旦始めたことを、やめるのは幼児体験としてマイナスになります。やめてしまうことで自分自身に自信がなくなってしまうことがあります。
ですから、幼児が何かを始めるときは親がよく見定めることが必要です。 親がよくタイミングと方法を見極めないとせっかくの子どもの素質や才能の芽を摘んでしまうのです。
お母様から後でいただいたメールに、「なんでも受身で待っている娘、言葉で表現できず、泣くのは、3歳だから仕方ないかなと思っていました」とありました。子どもは自分の心にオムツをしていると安心なので、自ら必要を感じるか親に躾られなければ外そうとしません。何歳までオムツをしていていいか、ということではなく、親が「仕方ない」といつまで思っていていいのかということです。幼稚園でお尻にオムツをしているお子さんがいないように、外に出たらいつまで受身で待っていても心のオムツを替えてくれる人はいません。「まだ3歳だから仕方ない。」と思う教育方針なら、外の社会に出すのはまだ早かったのです。
もし、まだ早いかもしれないけど習わせたいと思うなら、親が付き添って、我が子が教室で不自由しないように手助けしたり、先生と代理でコミュニケートしたり、親も一緒にその場で我が子と時と空気を分かち合えば子どもが自然に前向きになります。どのみち幼児の場合送り迎えされるのですから、教室で見ていればいいのです。そしてどうせ見ているなら一緒に習えば、お子さんはお父さん(お母さん)と一緒だときっと嬉しいでしょう。
さてここまでお読みの方はどうお思いでしょうか。字の読み書きができることと社会での生活能力の成長とは別だとおわかりの方も多いと思います。
では、上記に出て来たお嬢様はどうすればよかったのでしょう。また、周りはどうしてあげればよかったのでしょう。
一つ目は、「字」を書くことが面白いということと、「字」を習うこととは別だということをお母さんがおわかりだったかということです。
二つ目は、本人に「字を習う」とはどういうことかお母さんが説明して、本人が理解できたかということです。
三つ目は、もし本人が「字を習う」ことがどういうことか理解できて、その上で習いたいという気持ちがあったかということです。
四つ目は、字に限らず、習い事をさせに外に出して、そこで子どもがやっていかれるかどうかお母さんが子どもをよく見ているかということです。
別の言い方をすれば、子どもがその習い事を気に入るかどうか、またそこの先生や他の生徒に迷惑をかけないで楽しくやっていかれるかどうか、お母さんが判断できたかということです。
五つ目は、子どもが道具の出し入れをできるかどうか、できそうもないなら、外に出す前に家でお母さんが練習させたかどうか、
あるいは、道具を出し入れしやすいように、お母さんがバッグを作ってあげるなど、工夫してあげたかどうかということです。
六つ目は、親がいなくても、子どもが言葉を口に出して、言いたいことを人になんとなくでも伝えることがある程度できる社会性があったかということです。
ここまでは、お子さんの生活能力と社会適合性の成長の度合いを、お母さんが見極めているかどうかと、お母さんがどの点を補ってあげれば社会性が不充分でも習い事をできるか、この二つがポイントです。
そして、次の二つが最も重要なポイントです。
七つ目は、最初からお母さんが一緒にいてくれたら子どもはどんなに心強かったかということです。
子どもにとってこれほどの励みはありません。教える側も幼児の通訳が必要です。
八つ目は、もしお母さんが隣の机で一緒に習ったら、子どもはもっともっと楽しさを感じたでしょう。
お母さんをお手本に、習うことがどういうことがわかったでしょう。そして、習うことの喜びを感じられたでしょう。
子どもが'習いやすい環境を、お母さんが自分の子に合わせて工夫して作ってあげることが一番大切です。
お母さんの環境作りはお子さんへの最高の愛情応援です。
それを実践されているお母様が実際、私の教室にいらっしゃいます。母子で優秀作品に選ばれました。
お母様の前向きに学ばれる姿はお子さんに無言の教えとなって、お嬢様は研究熱心に字を習われます。それで、優秀作品に選ばれるという結果が後からついてきたのです。
子どもを育てるのはお母さんの姿勢が大切です。
育児はお母さんにしかできません。
書道教室は字をお教えするのにお子さんをお預かりしますが、育児もする保育所ではありません。
確かに「いくじ」ですが、「育字」です。
さて教える立場として私は、最初に上記のお母様とよく話し合う必要がありました。そこで、ホームページで、幼児の場合、お稽古には保護者の付き添いをお願いすることにしました。そしてできるならば、ご一緒に習われると、お母様もお子さんと一緒に学ぶ幸せを感じていただけると思います。その喜びは親子で2倍にも3倍にも膨れるでしょう。
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